2007/10/15(月)
先日・・・某テレビ番組で『 いのちの輝きスペシャル 』なるものを3夜連続で
放送していた。
私は少しだけしか観る事はできなかったが、小さな子供達が『 生きたい 』と
いって必死で頑張る姿は、涙なしでは観ることはできない。
また、海外で必死で戦っている医師や看護士の現地で奮闘している姿を見て
本当に支援されなければならない人は、こういうところにいるのだ・・・という事
を強く感じた。
そして、それと同時に・・・生きるか死ぬか・・・という問題と常に対峙し、戦って
いる彼等、彼女等と比較して、いかに自分が甘えた人間であるのか?どれほど
恵まれた環境で・・・のうのうと暮らしているのか?といったようなことが頭をよ
ぎった。
所詮、海外での出来事・・・とは到底思えないのである。何しろ、そこには同じ
日本人がいて、その異国の地で今も彼らは奮闘しているのだから。
私は、彼らは・・・どうしてそこまで頑張れるのだろうか?と疑問に思った。
ロクな給与ももらえず、休暇などのプライベートもなく、寝る間さえも削って必死
で働く彼等、彼女等には、日本国内で当たり前のように主張される労働基準法
のロの字も見当たらない。
なぜ?そこまでしてその地で、それだけ過酷な仕事を続けられるのだろうか?
その答えは、番組を見ている中で・・・おぼろげながらではあるが、私なりに見
つけることができた。
その答えとは・・・
『 必要とされている 』という『 遣り甲斐 』・・・そのものでしかない。
彼らがいなければ、助けられない。 彼女達がいなければ、死んでしまう・・・。
そういう究極に必要とされている状況下において、人は遣り甲斐を感じ、全力で
それに応えようとしているに違いない。また、人間の本来の能力や想像以上の
忍耐力や対応力も、そういった意識化であればこそ顕在化するのかもしれない。
そう考えると、日本国内で働いている人の多くが、こういった「必要とされている」
という感覚や、自分の成すべき事に対しての「遣り甲斐」を感じられていない状態
であるから、持っている力を充分に発揮できていないのではないだろうか?
人生の目的や遣り甲斐というものが、そう簡単に見つかるものではないことは
百も承知しているつもりだが、これほどの力を人間はもっているのだから、使わ
ないのはもったいない限りだ。
命を粗末にする最近の環境についても、生きたくても生きられない人からすると
なんとも・・・言葉を失ってしまう・・・。
ブラウン管を通じて、自分の非力さと甘さに気づかせてくれる大変良い番組で
あった。
感 謝