2007/02/19(月)
『 自分が溺れていると、隣で溺れている人は助けられない。 』
これは真実だと私は思っている。 弱者救済であったりとかボランティア
であったりとかを必要以上に美化する方々もいるが、私は少し違和感を
覚える。
もちろん、様々な理由で環境的に恵まれていない人々を救済することは
とても素敵なことだと思う・・・が、しかし、自分が経済的にとても困って
いる時に、多くの人達を救済することは事実上困難である。
理想と現実はすべからく違うのだ。
自分達のできる事から始めれば良い・・・と私も思うが、現実は時として
待ってはくれない。(気持ちを持つことは尊いが、それだけでは助けられ
ない現実がある)
だから、溺れている人を本当に助けようと思ったら、まずは助けられるだ
けの力をつけることが肝要だと私は言いたい。
昨年末のテレビ番組で「 老老介護 」というある老夫婦の家庭を紹介し
ている番組があった。私は現在の日本に迫っている1つの現実を垣間見
せられた気がしてとても衝撃を受けた。
読んで字の如く・・・老人が老人を介護するのだ。若い?我々でさえ、経
済活動を終え、自宅に帰ってからの時間を少しでも自分の時間として持
ちたいと考えているのに、現在そのような環境にあられる方々の実情を
思うと、とても辛い状況を察してしまう。
実際に、介護に疲れ果てた介護者(高齢の夫婦のどちらか?もしくは息
子・娘)の方々の自殺が増えているらしい。本当に寂しい限りである。
そういう現実を知ると・・・益々自分が頑張らなければ(=自分が何かしら
始められるだけの力をつけなければ)と思う。
ブログであまり暗いニュースは書きたくないが、現実からも目を反らして
はならないと思う。だから、事実を知って欲しい。そういう事実が今後増
える傾向にあり、人口構成比から観ても現実化する確立は高い。
要するに、今の若者は絶対に「 今 」力をつけるべく、もっと頑張れ!!
と言いたい。回りくどくて申し訳ない。(もちろん自分にも言っている)
その若い?人達の間には、頑張っている人と頑張れない人の格差も問
題になって来ているが、私は贅沢病がもたらした弊害だと感じている。
昔は、今ほどモノが無く・・・モノを手に入れる為に必至に働いた・・・(否
働けた、が正解だ。)今のように必要なモノがそろい過ぎていて経済的に
豊かになり過ぎると、目標が見つけにくくなるのも事実だ。
だからここ数年の会社の採用選考時に「 夢や目標 」を聞いても答えら
れる人は本当に僅かだ。自分の本当に求めているものが見つけられな
いと、人は頑張れない。
『 本当に欲しい生活 』 『 本当に絶対に手に入れたい強烈な目標 』
等は人を動かす原動力として今も昔も確実に存在する。
車がまだ一般庶民には高値の花だった昔の人は、車を手に入れる為に
必至に働いた。 それは、休日に家族で車で出かけるためだ。もっと言う
と、家族と車で出かけるという素敵な生活を手に入れる為だ。
今は車も手に入りやすいし、TVもDVDも洗濯機も冷蔵庫もカッコイイ家具
も・・・昔に比べ揃っている。シロ物家電と言われるものはあって当たり前
だ。こういう状況が若い人達の頑張りに火をつけにくくしている。
マイクロソフトのビルゲイツ会長でなくとも、日本にもポンと数億円を寄付
される方々もいる。本当に困っている人達に、それぞれのレベルで手を
差し伸べてあげられるのは、自分が経済的にも健康でなくてはならない。
自分が病気では人は助けられない。今を精一杯頑張りたいものだ・・・。