2008/01/16(水)
私の故郷にほど近い・・・静岡県の浜松市で、昨年11月に、なんとも哀しい事件
があった。
それは、浜松駅構内にて路上生活していた70歳のホームレスの女性が市役所に
運ばれながらも「 餓 死 」した・・・とされる事件だ。
今の・・・嫌いなものは平気で残す子供や親が多い世の中で、片や4日間も何も
口にすることができずに死んでいく人がいる。
しかも、救急車で運ばれた先が市役所で、所員に放置された結果が招いた部分も
大いに考えられる哀しい事件だ・・・。
あなたは、あなたの恋人や大切な女性が、このような死に方をしたとしたらどうで
すか?もしくは、このような死に方を望みますか・・・?きっと誰もがNo・・・であろう。
私は、浜松市役所の所員の人達を非難するのが目的でこの事件をとりあげている
のではない。
何を言いたいか・・・というと、飽食日本であっても「 餓死 」する人がいる・・・という
事実である。
恐らく・・・多くの家庭では、食事の食べ残しや期限切れによる廃棄食料は山ほどあ
るだろうに、厚生労働省の調査では年間100人近くの方が全国で「 餓死 」してい
るそうだ。
ようするに、「 必要ない人 」から 「 必要な人 」へと物が渡れば・・・このような
事で死ぬ人は、完全に無くすことができるだろうに・・・と考えるととても残念である。
うまくこのような仕組みはできないものだろうか?
もともと私は、甘やかすのは好きではないし、その人の為にはならない、と思う。
しかし、死に直面している人に対しては、やはり手を差し伸べるべきだと感じている。
私は・・・NPOの福祉団体の理事長を兼務しているが、正直なところこの団体はまだ
動かせていない。言い訳になるので理由は言わないが、まだまだ私の力不足が理由
である。
私の中には昔から持論がある・・・
それは『 溺れている人に、隣で溺れている人を助けることは出来ない。 』という
ものだ。だから、十分な力の無い者は助けたい人を助けることはできないのだ。私は
奇麗事を言う気はない・・・従って、これが今の世の中の現実なのである。
従って、このような事件を耳にすると・・・自分自身がもっともっと力をつけなければなら
ない・・・と哀しくも痛感する・・・今日この頃で御座る・・・イヤハヤ何とも・・・格差社会が
進むこれからはもっと増えるのだろうか・・・?