2007/03/31(土)
プロ野球の開幕戦が30日夜に開催された。私は特にプロ野球が好きだと
言うわけではない。だから中日ドラゴンズのファンでもない。
だけど、昨日の夜、ナゴヤドームで行われた中日×ヤクルト開幕戦は、男
としてギリギリのところで諦めずに戦った1人の野球人のカッコ良さに思わ
ず感動した。
その諦めずに戦った男とは、現在中日ドラゴンズに在籍している中村紀洋
選手33歳である。オリックスと契約交渉でこじれ、自由契約。移籍先が見
つからず、引退危機に直面した。あれから2カ月。中日・沖縄キャンプにテ
スト参加し、年俸400万円、背番号「205」の育成選手として契約した。
そして年俸600万円、背番号「99」の支配下登録選手へ…。地獄からは
い上がってきた選手が、どこの球団もそっぽを向いたにも関わらず唯一拾っ
てくれたドラゴンズの開幕戦で逆転タイムリー&ホームランを放ったのだ。
浪人危機などどん底を経験してきた男が一夜にしてヒーローになった瞬間
だった。一時は年俸2億円を超えていたと言われる選手が年俸400万円
という金額であっても契約をした理由は野球を続けたい・・・という思いが全
てであったと思う。
兵庫県から観に来ていた家族にとっても、忘れられない誇らしい1日になっ
たと思うし、諦めない父親のカッコイイ勇士が目に焼きついたことだと思う。
モチロン、契約交渉自体のやりとりにおいて中村選手がとった行動に問題
が無かったかと言えば、何かしら問題があったから自由契約選手にまで落
とされたわけだから、本人にも多少の問題はあったのだろう。しかし、その
事を反省し、自分を拾ってくれたチームへの感謝の気持ちと、また野球が
できるという喜びが、この開幕戦に全てあらわれていたような気がしてなら
ない。
最後のヒーローインタビューのコメントに、思わずこちらも涙が出そうになった。
以下はその時の様子である・・・
お立ち台に上がるとまた歓声が降ってきた。丸刈り頭を、静かに下げた。
目は真っ赤だった。
中村紀「(打った時は)泣きそうになりました。いろいろありましたからね…。
お世話になった人と中日への恩返しとしていいところで打てた」。
中村紀「お立ち台はやばかった。ファンの人の「泣くなよ」という声が聞こえな
かったら泣いていた。(アゴを指さし)ここらへんまで涙がきていた。忘れられ
ない1日になった」。
これからの試合と復活劇が楽しみな選手である。
スポーツ選手にしてもビジネスの世界で頑張っている人にしても、その人が
「 どこで諦めるか? 」また「 何があっても諦めないのか?」において、そ
の後の人生はとても大きく変化する。
諦めないで頑張っていると・・・不思議なことに実に奇妙なくらいに多くの「奇
跡」が起ったりしている。
簡単に諦めていく若い人が多い中・・・このような諦めの悪い選手の逆転劇を
観て・・・少しでもこの人生のヒントを自分のモノにして頂きたいものである。
これで中村選手が大活躍して、ホームランキングにでも返り咲いたら、それ
こそ野球が面白くなってくるだろうね。今まではあまり野球に興味は無かっ
たが、中日の試合は観てみたくなってしまった。
同じ・・・中村つながりだし、こりゃ応援に行ってみましょうかね?
「 中村頑張れ~!!・・・・・って、なんだか変な感じだな・・・。 」
ま、確かに自分も応援したい気分ではあるが・・・・・「 俺、頑張れ~!!」